在宅介護しながらウィーンへ行く(行った)ブログ 猫とビターチョコレート

40代独身、介護離職してお金はないけど、車椅子の母を連れてウィーンへ行きました。
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ヨダレの話

母は左半身麻痺。
左側がすべて動かないし感覚も弱い。
自分の左手がどこにあるか探さないと見つけられないし、少々ぶつけても痛くない。
唇の左側がうまく上がらないから、笑顔もちょっといびつになる。

ヨダレが出るのもきまって口の左側。
自分では気づけないし、唾をすすれないから。
不思議なことに人前だとわりあい大丈夫なんだけど、家ではダラーッとでてしまう。
とくに寝ぼけている朝は那智の滝状態だ。
 「おかあさん、ヨダレ拭いて」
私はときどき指摘する。
 「赤ちゃんみたいになってるよ!」
すると母は眠たそうに言った。

 「赤ちゃん? 若返ってええやん」

若返りすぎだー。

振り向きにゃんこ
(過去を振り返るサンジ)
 
昔、旅先で知り合った人に言われたことを思いだす。
「私の妹は身障者で」と話したときのことだ。

「へー、重度の脳性麻痺なの?
 ああいう人たちって臭いのよねえ、ヨダレが!
 だーだーって変な声あげてうるさいしさあ。
 年寄りもだけど、ヨダレくらいなんとかしろっての」

ストレートな言葉に衝撃を受けた。
なんで私にそういうこと言うんだと、当時は心の中でグーパンチしまくってた。

嫌な思い出だけど、彼女の言葉をときどき思い出すようにしている。
私は幼少時から排泄物の臭いに慣れきっていて、ヨダレの臭いなんかまったく分からない。
だからこそ注意しなければいけない。
私にはよく分からないけど、ヨダレは臭いもので、他人に不快な思いをさせるものだと覚えておかなくてはいけない。

小さい子供がいつも騒ぐので親がうるさいのに慣れてしまい、周りに迷惑をかけてしまうのと同じ。
ひとに迷惑をかけていることを忘れてはいけない。
子供だろうが身障者だろうが高齢者だろうが、誰かに不快な思いをさせてもいいなんて思ってはいけない。
仕方がない、と思ってはいけない。
体が悪いから許してもらえるだろう、なんて思いこんではいけない。
それは介護者の甘えであり、思い上がりだ。

・・・だからって止められはしないんだけど。
せめて、ヨダレはこまめに拭いておこう。
許してもらえるかどうかは相手が決めることだから。

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世の中には優しい人が多いから
 「大丈夫、臭くなんかないよ」
と、いってくれるかもしれない。
 「気にしないよ」
と。
それを当たり前に思ってはいけない。
真に受けてはいけない。
多かれ少なかれ、その人は我慢をしているかもしれないのだから。

大切なのは感謝する気持ちだと思う。
もっといえば、身障者用駐車場だってそう。
一番便利な場所を使わせてもらっている。
そのぶん、他の人が遠くに停めることになる。
それは障害者の権利だという人もいるけれど、そんなこと声を大にしていうもんじゃない。
権利って、なんだか威張って聞こえる言葉だから。
それよりも
 「良い所を使わせてもらってありがとう」
と思っておいたほうが、お互いに気持ちよく過ごせるんじゃないだろうか。

だからもしヨダレの臭いを「気にしないよ」といわれたら私は
 「ごめんね、ありがとう」
というだろう。
ヨダレを臭いといった彼女も、お客さんの前では「大丈夫ですよ」と言っているに違いない。
彼女はたしかANAかJALのスチュワーデスさんだった。
今頃どうしてるんだろうな。
ああいう人はきっと親の介護なんて絶対にしないんだろうけど…。


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在宅介護を始めて2年が経ちました

母の在宅介護をはじめて丸2年が経とうとしています。
誤解をおそれず、この2年の感想を端的に述べますと…

「意外にチョロかった」

でしょうか。
当たり前です。
母は要介護5こそもらいましたが、幸せなことにメキメキと回復してくれちゃったからです。
次の認定では3くらいになるのでしょう。
重度障害の妹には入所してもらいました。
私は現在も外での仕事はしていません。
・・・楽して申し訳ありません。

もちろん、ここに至るまでにはいろいろあったわけですが。
いや、今でもいろいろあるわけですが!
喉元すぎれば熱さ忘れる。
思い出そうとしても、笑えることしか思い出せません。
この2年。
私の介護生活は楽しかったです。
そして今現在も楽しいです。

苦しんでる方ごめんなさい。
つらい話を期待した方ごめんなさい。
そういう話は、まだ、要らない。
今はまだ。
だって、たったの2年だもん!
今楽しまないでどうするよ!

私の介護生活は始まったばかり(あ、妹は置いといて)。
まだまだまだまだまだまだ、これから。
介護はずーっと。
ずーっと続く。
そしていつかは終わってしまうんだ。
多分、今が一番幸せな時期なんだろうと思う。

母がワケわかんないこというのを一緒に笑い
ウンチが出たといって喜び
一緒にテレビみてご飯たべて
妹が帰ってくるたびに兄弟ゲンカしまくって。
これが私の幸せな日常。

たんぽぽ

2年前。
在宅介護にしようかどうしようか悩んでいるとき、年上の方から
 「自分を大事にしなさい」
といわれました。
 「自分の人生を大切に考えなさい」
と。

自分って何か。
自分の人生って何か。
言葉にするとよくわからなかったけど。

人生には無数の分岐点があって、無数の選択肢があって。
どちらに進むか一つ一つ自分で決めてきた。
逆らえない流れに流されることもあれば、選択肢すらなかったように思えることもあった。
でもそうじゃない。
今生きてここにいるってことは、全て自分で選んだ結果だ。
無数に分岐したパラレルワールドの中の、他のどれでももないここに、今ここにいること。

もう学校へは行かないと決めた通学路の先に、
桜が咲き誇る花のみちの先に、
鹿の鳴く山の頂の先に、
チョコレート工場の甘い香りのする通路の先に、
夕暮れのガラパゴス諸島の先に。
今ここに私は立っている。
私の道はここから必ずどこかへと続いていく。
この先、苦しくても辛くても、ちゃんとそれを覚えとく。

かっこいいアジャリ

同じことを、これまでもこのブログに何度か書いている。
これからも何度も書くと思う。
私の特技は迷子になることだから、迷子になってもちゃんと進めるように、道しるべを掲げておくのだ。

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とりあえず来年はウィーンへ行くぞー!


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なんでもない日、なんてない

昨日、ディズニーが失言をやらかしたと話題になっていた。
公式ツイッターに『ふしぎの国のアリス』の絵と歌詞で
 「なんでもない日おめでとう!」
と書かれていたらしい。
昨日は…8月9日だったのに。
なんでもない日であるわけがない。

8月6日。9日。15日。
夏は戦争のことを思いだし、考える季節だ。

『ふしぎの国のアリス』は夢オチだ。
本当は「なんでもない日」など存在しない。
今日という日は二度とめぐってこないから。
一年365日。
毎日が特別な日。

毎日、誰かが死んで、誰かが生まれてくる。
毎日、どこかで戦争があり、どこかで祭がおこなわれている。
毎日、誰かの命日で、誰かの誕生日だ。
毎日、悲しいことがあり、嬉しいことがある。
毎日、何かが起こっている。

昨日、今日、明日。
たいして変わりばえしないように思うけど。
誰にとっても「今日」というは、本当はかけがえのない一日なんだ。
もしかしたら、ガラスのように脆い平和の上で胡坐をかいていられる最後の1日なのかもしれないのだから。

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ふと思い出して、外国で暮らす妹にディズニーの失言のことを話した。
 「子供たちに、戦争のことをちゃんと話といてね」
と。
そしたら
 「今日は学校が休みやったから、朝からみんなでNHKの戦争番組を見たで」
と返ってきた。
頼もしい。

椅子とり合戦
(昨日のサンジ。オヤジと椅子の取り合いをして、勝ちました。)

ちなみに昨日、私が何をしていたかというと…クッキー焼いてました。
おいしかったです。


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