在宅介護しながらウィーンへ行く(行った)ブログ 猫とビターチョコレート

40代独身、介護離職してお金はないけど、車椅子の母を連れてウィーンへ行きました。
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「つらい。」

皆様、ご覧ください。
私のこの夏の工作を。
最新の発明を。
名付けて「バイオリン支え器」!

バイオリン支え器

バイオリン弾きの母は左手の機能を失った。
だから私が左手になろう。
2人がかりでバイオリンを弾こう。
母が弓を弾き、私が弦をおさえる「二人バイオリン」。
ごく簡単な曲なら弾けるようになった。

けれどバイオリンは、左肩とアゴで挟んで支えるもの。
母の左肩に代わり私が手で支えてた。
これがけっこうキツイいのだ。
重くて長くは持ちこたえられないし、ポジション移動がどうしてもできない。
一点だけでも支えがあれば。
もう少しちゃんと弾けるはず。

そう思って工作したのがこの「バイオリン支え器」。
バイオリンを置くための台だ。
これで夢のポジション移動が可能になる!
さあどうだ!
って思ったけど、なーんかうまくいかない。
残念ながらこの発明は失敗だった。

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そのあともしばらく練習をしてみたけど…。

相変わらず、母は楽譜をちゃんと読めないし。
アゴ置きじゃないところにアゴを置く。
半側空間無視のせいで、正しいバイオリンの持ち方がどうしても分からないのだ。
50年以上、バイオリンを弾いてきたというのに。

ある人に
 「バイオリンに触ることが一番のリハビリだよ」
といわれたのは、ちょうど一年前のこと。
それで二人バイオリンを始めたのだった。

だけど、本当にそうなのだろうか。
母は弾きたいと思っている。
バイオリンに触れたいといっているのではなく。
「弾きたい」と思っている。
強く、強く。
だから他の楽器、ピアノやハーモニカのほうが片手でも弾けそうだからやってみよう、とはならない。
私が弾くのはバイオリンだから。
いつか弾けるようになるから。
絶対また弾けるようになるから。

「二人バイオリン」はあくまでも私へのお付き合いらしい。
練習の最後には必ず
 「一人で弾いてみたい」
という。
母は、懸命に左手をのばし、痛みをこらえながら、拘縮した指を広げようと必死になっている。
無理しないほうがいいよ、というと
 「だって頑張らないとまた弾けるようにならないもん」
頑固な答えが返ってくる。
ピクリとも動かない左腕をさすりながら。
大丈夫?と尋ねると
 「つらい」
といった。
 「すっごく、つらい。どうしてこんな簡単なことができないのかしら?」
私はそんな母を見るのがつらい。

これが本当に、母にとって『一番のリハビリ』なのだろうか。
絶望をくりかえすことが?
ただ奇跡を待つことが?

現実は小説みたいにはいかない。
ときには諦めも必要だ。
そのほうが新しい道が開ける可能性もある。

母はだんだんしっかりして、妄想も減って、自分が歩けないことも、左手が動かないことも分かるようになってきた。
なのに、というか。
だからこそ、というべきか。
手紙には必ず
 「ちょっとずつバイオリンを弾けるようになりました」
と書いている。
スーパー天然ポジティブにもほどがある。
このままいつまで夢をみつづけるべきなんだろう。
私は夢なんか嫌いなのに。
もしかしたら、音楽からキッパリサッパリ離れてしまったほうが、穏やかに暮らせるんじゃないかと考えることがある。

いつも、しまいには母も私も泣きそうになる。
それで今日は
「何か楽しいことしよっか!」
と。
ドーナツを揚げた。
オールドファッション風ドーナツ。
おいしいものを食べたら母の気分も良くなるだろう。

オールドファッション
(母が形を作ったら、また唐揚げみたいになった。リングドーナツは私作)

…油で気持ちが悪くなりました。

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