在宅介護しながらウィーンへ行く(行った)ブログ 猫とビターチョコレート

40代独身、介護離職してお金はないけど、車椅子の母を連れてウィーンへ行きました。
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「自分で決める権利」を介護者が奪ってはならない

母は「洗濯物をたたむ係」。
毎夕、タオルやTシャツをたたんでくれる。
片手ながら、なかなか上手になってきた。

が、いつのまにか手が止まっていた。
どうしたの?
ときくと、
 「邪魔者がいるの」
猫ってどうして洗濯物のうえで寝るのが好きなんだろう…。

洗濯物かえして

話はかわる。
昨夜、U子の養護学校時代の先生にお話を聞かせてもらった。
15年ほど前の母とU子はそれはそれはパワフルだった、という話。

U子は重い障害児で言葉も不自由だけど、周囲の言いなりになるんじゃなく、自分のやりたいことを自分で選んで決めていた、ということ。
介護者や先生が
 「こうした方がいいから、これをしなさい」
と与えるのではなく。
U子自身が
 「これをやりたい」
と決めたことを行い、周りもそれをサポートしてきたということ。
それがどんなに大切かということ。

私は反省した。
これは今に通じると思ったからだ。
障害児の介護でも高齢者の介護でも同じこと。
私は、ともすれば母の行動を
 「じゃあ次はこれをしようね」
と、知らず知らずのうちに、一方的に押しつけてしまっている気がする。

 「買い物に行こうね」
 「そろそろベッドに行こうね」
 「ごはんを食べようね」

と。
母から言いだすこともあるけど、頻度は少ない。 
それは、病気をしてから2年のあいだ、母の思考力や判断力がものすごく衰えていたからだ。
意思決定ができなかった。
だけど今は違う。
かなり回復して、妄想もなくなったし、とんちんかんな受け答えをすることも減った。
だから、もっと自分で考えなくちゃいけない。
何をやりたいか、どうしたいのか。
できるだけ自分で選んで決めてもらわなくちゃいけない。
そうしなければ、母はこのまま考えることを忘れ、選ぶことをあきらめ、ただ唯々諾々と流されてしまう人になってしまうだろう。
人は、どんな状態であっても、自分の人生を自分で選ばなくてはならない。
たとえ「買い物にいくかいかないか」という些細な選択肢であっても。

もちろん、危ないことや無理なことはさせられないし、今でも日時の感覚や手順を考えることはまだ難しいけど。
それでも私は問いかけを変えることはできる。

 「買い物に行きたい?」
 「ベッドに行く?  どうする?」
 「次は何をする? ごはんにする? 今じゃなければ何分後がいい?」

考える権利。
選ぶ権利。
そういうものを介護者が奪ってはいけない。
意識しなければと思った。

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