奇跡を起こそうよ
脳に損傷を負ったせいで、母は夢と現実の境目がわからなくなった。
倒れてから1年くらいはさまざまな妄想にとりかこまれてファンタジー世界の住人になっていた。
去年の春頃になってようやく妄想オンパレードはおさまった。
ところが今でもたまに、現実と妄想がごっちゃになることがある。
いや、妄想ではなく、願望といったほうが良いかもしれない。
願望 「こうなるといいな」
↓
希望 「なるかもしれない」
↓
妄想 「もうなった!」
という、なんともハッピーな夢をみて、願いが叶ったと信じ込んでしまう。
生まれつきスーパーポジティブな母ならではの思考(妄想)回路だ。
だけど今日のはちょっと違った。
リハビリ中のことだった。
麻痺した左腕をもみほぐしながら、母は言った。
「一人でいるときもね、こうやって自分で左手を揉んでるのよ。
時々はバイオリンも弾いてるの。
最初はちっとも動かなかったんだけど、ちょっとずつ頑張ってたらね、最近、すこーしだけ、弾けるようになったのよ。
すこーしだけなんだけど、嬉しかったよ!」
へえ~そうなの、と私はてきとうに相槌を打つ。
またいつもの妄想だと。
一人のときにバイオリンを触ったことなんてないし、左手が動くのは一度も見たことがない。
母の左手では腕を上げてバイオリンを掴むことすらできないのだ。
こういう妄想は、なんだかたまらない。
あんまり聞きたくない。
だけど母は続ける。
「昔はなんでもないと思って弾いていたことが、今ではすっごく難しいの。
でもね、辛抱づよく続けて、もし、前に近いくらい、弾けるようになったら、すごいじゃない?
奇跡だよね?」
私は戸惑った。
・・・どこまでが妄想なのだろう?
母は、自分の左手が動かないことも、ぜんぜん弾けないことも、ちゃんと分かっている。
弾けたら奇跡だということも分かっている。
だけど、それを信じようとしている。
どう答えようか悩んでいたら、ダメ押しの一言。
「奇跡を、起こそうよ」
ああ、もうね。
なんかもう。
そういわれるとさ。
なんとかしてあげたくなるやん?
たとえ左手をバイオリンに縛りつけてでも。
奇跡を起こさなアカンと思うやん!
「そんなものありえない」という人には、けして奇跡は起こらない。
「不幸になるかも」と恐れている人のところには、けして幸せはおとずれない。
否定する気持ちからは、良いものは何もうまれない。
奇跡はかならず起きるし
幸せはかならずやってくる。
だから私は信じようと思う。
乗っかろうと思う。
母の奇跡の妄想に。
必ず弾けるようになると。
とりあえずは「二人バイオリン」に左手を参加させる方法を考えてみよう。
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