在宅介護しながらウィーンへ行く(行った)ブログ 猫とビターチョコレート

40代独身、介護離職してお金はないけど、車椅子の母を連れてウィーンへ行きました。
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文章が書けない

仕事で文章を書くことがあった。
といっても、ほんの数行、感想を書くだけの作業。
だけどその「ほんの数行」が難航した。
まとまらなかった。
時間がないので適当にやっつけたけど、びっくりするくらい、へたくそだった。
何を言いたいのかはっきりしないうえに、日本語としてもおかしい。
提出するのが恥ずかしかった。
悔しかった。

理由は・・・手書きだからだ。
パソコンではなく。
キーボードに向かって打つのとボールペンを握って書くのとでは頭の使い方が全然違う。
パソコンで文字を連ねるのは簡単だ。
書いては消し、消しては書いて。
作業は一瞬で済む。
だけど手書きだとそうはいかない。
BackもDeleteも、切り取りも貼り付けもできない。
修正や追加ができないのだ。
書きながら考えることが許されない。
頭の中で一文一文を完成させ、次へのつながりをもたせ、前後関係を間違わずに整えなければならない。
これって結構、脳ミソつかう。

どっぷりパソコン頭になってしまった私は手書きでは全く文章が書けなくなってしまっていた。
ほんの数行の感想さえも。
それはショックな発見だった。
私の文章・・・心をこめて書いたはずの文章。
ブログや本や、今あなたが読んでくださっているこの文章の半分は、自分の力で書いているのではなくパソコンの機能に頼ってつくったものなのだ。

小中学生のときは暇さえあればチラシの裏に文章を綴っていた。
鉛筆で手がいつも黒かった。
まっさらのノートの1ページ目に文字を書くのが嬉しかった。
あの頃はペンダコが絶えなかったっけ。
キーボードを打ちはじめ、チラシの裏がいらなくなったとき、私はペンダコと同時に「考える頭」も失ってしまったのかもしれない。
それはたとえば、計算機に頼って暗算ができなくなる子供のように。

今の暮らしにパソコンは必需品だし、スマフォやi-Padは便利で楽しい。
手書きや暗算なんて不必要な時代かもしれない。
だけど私たち自身は機械じゃない。
ヒトっていう種類の動物だ。
手をつかってものをうみだすことは人類が進化するとき身につけた生きるための術だ。
だから生きている限り、何かをうみだそうとする限り、人間は自分の力で文字を書き、頭をつかって考えることを、忘れてはいけないと思う。

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