在宅介護しながらウィーンへ行く(行った)ブログ 猫とビターチョコレート

40代独身、介護離職してお金はないけど、車椅子の母を連れてウィーンへ行きました。
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「感動ポルノ」って?

昨日、24時間テレビが放送されていたその裏で、NHKの笑える障害者バラエティ『バリバラ』が話題を集めていた。
 「障害者に感動は必要?」
というテーマ。
私は録画をしてさっき見た。

24時間テレビに代表されるように、頑張ってる障害者にスポットをあてて視聴者を感動させるという構図が世の中には横行している。
その感動は本物だろうか?
感動の根底には「障害者って可哀想」という同情があり、見下しているのじゃないか。
 「元気がもらえる」
という言葉の裏には
 「私よりもっと不幸な人がいるんだ」
という気持ちがあるのではないか。
健常者が障害者を見世物にして金儲けをする。
これは「感動ポルノ」だっていう話だ。
感動ポルノについてはこちらが詳しいです)

うちの家族はみんな昔からお涙頂戴ものに違和感をもっていた。
 「障害者の家族って 『オヨヨ』と泣かなあかんねんで」
という話をよくしていた。
妹に重い障害があると知ったとき、私は
 「やったー!うちの妹は特別だー!」 
と喜んだのだけど、世間ではそんな話はしたらアカンらしいで、と。
だから、この番組のいうことはものすごく同感で。
母と2人、いちいち納得してみてた。
 「そうそう、そうだよね!」
って。

だけど。
番組を見終わったとき、ハタと気がついた。
急に不安になった。

 「私が書いてることは感動ポルノになるの!?」

私は母やら妹やらをダシにつかってブログ書いたり本を書いたりしている。
昨日の記事なんか典型的。
「障害に負けずに頑張ってる」話じゃない?
私も頑張ってるんけどね!
これも差別なの?

健常者が障害者を消費しているとかいわれるのん?
感動されたらあかんやつ?
 「母も私も頑張ってるから応援してや!」
っていうのはあかんの?
健常者が障害者をネタにするとき
 「うちの妹めっちゃオモロイで!」
というのは良くて、
 「うちのオカン、めっちゃ頑張ってるで!」
というのは感動ポルノになるの?

あれ?
わからなくなった!

ちなみに私の座右の銘は、『人生まるごとぜんぶネタ』。
障害があろうがなかろうが、人間みんな頑張って生きてる。
頑張って生きてる人をみて感動したり勇気をもらったりするのは当たり前のこと。
 「わざわざお涙ちょうだいにしなくても、まわりが勝手に感動してはる」
と母は言います。
 「感動するのはひとの勝手!」
だからわざと「感動させよう」という演出をされると気持ちが悪いんだろうな。

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本日の猫写真。
シシィが猛烈にジタバタ暴れてるから何事かと見に行ったら、猫じゃらしに絡まってた。

もつれた
(もつれたー!これ取ってー!)

絡まったのが首だったら危ないのでは…


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※ 追記 ※
NHKの障害者情報番組『バリバラ』はめっちゃ良い番組です。
http://www6.nhk.or.jp/baribara/
この番組を見たらきっと、「障害者=可哀想」なんて構図は描けなくなります。
うちの妹みたいな人がいっぱい出てます。
きっとあの番組でなら、妹の一発ギャグ「エクソシスト!」(妹の顔が緊張のために真後ろ近くまでまわっちゃう状態)も受け入れてもらえるんだろうなあ。

障害が個性なのかどうか、私にはわからない。
ただ、障害者の家族としていえるのは
「障害者なんてめっちゃ普通」
っていうことだけです。
私のまわり、昔から重度障害者だらけやからな。
どこからが障害者でどこからが健常者なのか、境目が実はよくわかっていません。

子供の頃、健常な妹のことを、何回「アホ」いうても何も言われないのに、障害のある妹のことを一回でも「アホ」いうたら周りのおばちゃんに叱られました。
健常な妹と旅行にいっても何もいわれないのに、障害のある妹と旅行にいったら「えらいねえ」って感心されました。
これが差別だと私は思います。
どっちも妹なのに。
どっちもおんなじアホなのに。

私が中学生のとき、校長が朝礼で
 「障害のある可哀想なお友達に優しくしてあげましょう」
と話しました。
抗議しにいったけど校長と言い合いして負けちゃいました。
 「障害者は可哀想。」
可哀想という視点がもう上から目線で腹立つんだけど、親や先生から代々そう教えられて育ってきたのだから、それが自然になっちゃってるから。
考え方を変えるのは難しい。

その考え方を変えようと、バリバラは訴えている。
24時間テレビにぶつけるという過激な方法で、感動ポルノという刺激的な言葉で訴えている。
昨日の放送はものすごい反響があったようだ。
もしかしたら、これからメディアは変われるのかもしれない。

具体的に、「障害者=普通」になるにはどうすれば良いか。
考え方を変えるにはどうすれば良いか。
私は、知ることが必要なのだと思う。

知らないから、そうなっちゃうんだと思う。
身近じゃないから。
障害もっててもみんな普通に暮らしてることを知らないから。
昔は座敷牢に閉じ込められて本当に可哀想だったかもしれないけどね。
今は違うんだよって。

なので私は、母も妹も可哀想じゃなくて、普通に楽しく暮らしてるんだよって、そういうつもりでブログ書いてます。
ついでにいうと介護者の私も今はぜんぜん大変じゃないし、もちろん可哀想でもありません…。

でも、それをこんなふうに書いたらどうだろう?
 「知ってほしい。障害者も幸せに生きていることを」
…ほら!
ほらまた!
なんか感動呼びそうなフレーズになってしまうねーん!
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12 Comments

POTE says..."もっとシンプルに"
恋はするものじゃない 落ちるものだ と言いますが、
感動も促されるものじゃない 気がついたら心が震えるものだ と思っています。
だから、「ここが泣き所ですよ」「ハンカチをご用意ください」「号泣の準備はよろしいですか」と直接言われずとも何だか無言の圧力でぐいぐいお膳立てされると一気に冷めちゃうんですよ、これが。

称賛欲しさに頑張ってるわけじゃない。
ただひたすらそれをやりたい、夢を叶えたいと努力する姿に人は思わず感動するものなので、予め演出が入ったり効果的な編集やBGMが付随してると、そこに違和感や作為的なものを感じてしまう人もいるかもしれません。
善意の押し売りに辟易しているうちに、障害者の社会参加そのものが眉唾にしか思えなくなっているのかもしれません。

でも、だったら見なきゃいいやろ。違うと思っても、違うかなーと自分で思ってればそれでいいやろと思うんですがねー。
「そういうの良くないと思います」って正義の味方の学級委員ですか。
しかも言うに事欠いて「ポルノ」呼ばわりって品性に欠けるなー。

大人の事情で色々な立場の人が絡んでくるのは仕方のないことで、それと、一生懸命頑張っている障害者の姿や努力そのものを一緒くたに卑下するのもどうかと。
障害のある人、困窮してる人、余命切られた人を前に「自分でなくて良かった」と安堵するのは寧ろ自然な発想です。
人は他人の不幸には優しいけれど、そこにはどうしても差別意識と優越感と安堵感が根底にある。
残酷だけど、それが現実です。

障害者を見世物にするなんて云々という論調は昔からある偏見ですが、実際見世物小屋で見物料取ってた時代もありましたし、貧困の為わざわざ子供の目を潰し足を折り、膝行りの乞食にさせて施しをもらうことで生計を立てる国もありますから、そういう人の残酷さの後ろめたさからの正義感もあるかもしれません。
その、一見障害者側に立って庇護してるつもりの熱心な支援者が実は一番差別意識を持っていたりするので、この辺りの自覚の無さと誤解の解き方は難しいです。

過日のウィーン旅行といい、妹さんの帰宅といい、お母様の演奏といい、だださんのなさっておられることは感動なんて安っぽい言葉では表しきれないことばかりです。
障害者は大人しくされるがままに世話されて地味ーに静かーに生きていればそれでいい なんて思っている世間や障害者本人・家族の蒙を是非啓いて頂きたいです。
(あんまり好き勝手望まれるとキレますけどね 笑)
2016.08.29 22:07 | URL | #.5Qwvuhc [edit]
だだ(たかはたゆきこ) says...">POTEさん"
>ただひたすらそれをやりたい、夢を叶えたいと努力する姿に人は思わず感動するものなので、予め演出が入ったり効果的な編集やBGMが付随してると、そこに違和感や作為的なものを感じてしまう人もいるかもしれません。
そっかー演出の問題が大きいのでしょうね。
とくにテレビは視聴率とらなくちゃいけなくて、「障害者=可哀想=けなげで感動」っていう古い考えのお年寄りが偉そうにしているから。

誤解を生んでしまって申し訳ないんですけど、「バリバラ」は障害者の人たちがつくる番組です。
「障害者=普通の人」でしょ?っていう番組。
http://www6.nhk.or.jp/baribara/
そして「感動ポルノ」という過激な言葉をつくったのも障害者で、当事者たちがこれに大きく賛同しているのです。
もちろん私も賛成派です。
昨日の番組は本当に素晴らしく、メディアの障害者の扱いもこれで変わる、ゆくゆくは社会はが変わっていくのだと肌で感じたくらいでした。

考え方、とらえ方というものはその時代により社会により変わっていくものですよね。
今、日本のメディアはその転換期にあるのでしょう。
私は障害のある妹と一緒に育ってきましたので「障害者=普通」なんてことは当然のように思っています。
けれど私があたりまえに書いてきた家族の話が、時代が変われば「感動ポルノ」として捉えられる可能性もあるのか?
と混乱してしまいました。

私は自分や家族をネタにはしていますが、「善意の押し売り」はしてないと思うので、24時間テレビとは違うと思っていていいですか?(笑)
2016.08.29 23:57 | URL | #- [edit]
POTE says..."失礼しました"
当事者の人たちから発せられた表現だったのですね。
おまー、番組見てないでてきとーな思い込みで書いただろ と指摘されたら、はい、仰る通りです(笑)。
以前、「余命半年の花嫁」で持ち上げるだけ持ち上げといて、次に手酷く叩き落とすみたいなことがあったので、まああれもかなり放送関係者の意向が強く打ち出された難病薄命感動秘話だったし、本来の趣旨とはずれた論点での叩き合いが残念なケースでした。
障害者は外に出して好奇の目に晒すより家の中で大切に守ってあげれば充分幸せ。
外で障害者を見かけたら見て見ぬ振りをするのが親切というもの。
そんな思い込みが長年続いていましたから、それを打破するのもエネルギーの要ることだと思います。
今していることが正しいのか、それとも咎められることなのか。
残念ながら、それはずっと後にならないとわかりません。
だから、今は自分の信じる通りにするしかないのだと思います。
やらない後悔よりやる後悔ですかね。
2016.08.30 00:41 | URL | #.5Qwvuhc [edit]
mikomona says...""
今、2時間かけて書いたコメントを間違って消してしまった(涙)

これだけは言わせてください。
だださんのブログは感動ポルノでも24時間テレビでもないと思います。

「母も私も頑張ってるから応援してや!」は全然OKじゃないですか!
障害者でも健常者でも関係なく、頑張ってる姿には感動するし、応援しますよ。

でも、頑張る姿をアピールするために頑張るのは、違うと思う。
24時間テレビの演出はまさにこれなんじゃないかと思います。
私は昨日のバリバラも24時間テレビも観てないですが。

でもバリバラは面白くて好きです!
2016.08.30 01:47 | URL | #Ctw2G0tM [edit]
ばーば says...""
どっちの番組も見ていないのにコメントを書きたくなりました。
感動ポルノという言葉に衝撃を受けました。
感動とポルノを結びつけるか?っていうのが通常の感性じゃないかなー。
昔学校に行くと障害のある子が何人かいました。
イジワルされてもニコニコしていたり無表情だったりしましたがイジワルしたほうが恥ずかしいような雰囲気がありました。
車いすなんてないので歩けない子は学校に来ませんでした。
たまに道路やお店でお母さんが荷車に乗せているところに遭遇しましたが、まじまじと見て子供心に「お母さんはえらいなー」と思ったものです。
最近洋画を見るようになったのですが一番好きなのはフォレストガンプです。彼も軽いしょうがい者ですよね?人間て知恵の木の実を食べたばっかりにいろんな不幸や悩みが訪れたんだなーと久しぶりにそんなことを思いました。
動物は会った瞬間に相手と自分のどっちが強いか弱いか見極めないと生死を左右するから、障碍者の方を弱者ととらえることはDNAに刻まれた本能だと思います。
そしてその後の態度はその人の性格や教養なんかで決まるんだと思います。
今は身近に生涯のある方がほとんどいません。
だから感動の押し付けであってもそういうドラマを見てそうなのか!ということも多く、悪いことばかりではないと思います。
障碍者年金って65歳過ぎて障害が発生してももらえません。
理由は65歳以上で発症した人にまで支給していたら人数があまりに多くて財政がパンクするからです。(と思いまーす)
一生で言えば半分以上の人が障碍者になるんです。
お母様も少し早かっただけ。
まだ障害の発生していない人たちの手本になっていただきたいと思いますが、それはおかあさまの勝手。(笑)
だだ様のような孝行娘(これは間違いないです)をもたれて本当にラッキーでお幸せだと思いますよ。
観点がかなりずれましたがお許しを、
日々の更新楽しみにしています。
2016.08.30 13:45 | URL | #J8TxtOA. [edit]
says..."管理人のみ閲覧できます"
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2016.08.30 14:40 | | # [edit]
だだ(たかはたゆきこ) says...">POTEさん"
> 障害者は外に出して好奇の目に晒すより家の中で大切に守ってあげれば充分幸せ。
> 外で障害者を見かけたら見て見ぬ振りをするのが親切というもの。
> そんな思い込みが長年続いていましたから、それを打破するのもエネルギーの要ることだと思います。
そうそう、それですよね!
番組の中でカンニング竹山が
「知ってもらうためにもっと町へ出よう、ツアー組んで番組にしよう」
と言ってました。
どんどんやってくれたらいいなーと思います。
介助の人手がいるんですけどね!(笑)
2016.08.30 20:25 | URL | #- [edit]
だだ(たかはたゆきこ) says...">mikomanaさん"
> 今、2時間かけて書いたコメントを間違って消してしまった(涙)
えええええ!
なんてもったいない!そして悔しい!読みたかったです…。
mikomanaさんに「大丈夫、違うよ」っていってもらえて、すごくほっとしました(笑)

> でも、頑張る姿をアピールするために頑張るのは、違うと思う。
要は、何を狙っているか。
あざといかどうか、でしょうか。
下心とでもいいましょうか。
テレビ、しかも民放ですから下心があるのは当たり前なんですけど、その根底に「かわいそう」があるかどうかなんだろうなあって思います。

バリバラ、おもしろいですよね。
初めて見たときびっくりしました。
これを機会に視聴者が増えるかもしれませんね。
2016.08.30 20:29 | URL | #- [edit]
だだ(たかはたゆきこ) says...">ばーばさん"
ありがとうございます。
> 感動ポルノという言葉に衝撃を受けました。
> 感動とポルノを結びつけるか?っていうのが通常の感性じゃないかなー。
そうですよね!
私もびっくりしました。
でも説明をきいてすごく納得したんです。
多くの人の考え方(というか視点)を変えるためには大きなインパクトを与える必要がありますから、わざと衝撃的な言葉を使ったんでしょうね。

昔は車椅子がなくて荷台だったんですか。
すごいですね!
昔の障害者は大変で、おかあさんは本当にえらかったんですね。
私もときどき昔の話を聞くのですが、本当に尊敬します。
きっとその子も強い良い子に育ったのでしょうね。

今では時代が変わりました。
障害者をとりまく環境も福祉道具も変わり、座敷牢もなくなりました。
あと一歩進んで、モノだけでなく心のバリアフリー化がすすめば、
「おかあさんと子供が普通に散歩している普通の光景」
になるはずだ、と番組では言っているのです。
障害者本人(+家族)からすれば
「ただ散歩してるんだけなのになんで感動されるの?」
とすごく不思議なんです。

でももちろん、同じ光景をみてどう思うかなんて、受け取り手の自由です。
けれどそれを
「さあ感動しろ!さあ泣け!障害者ががんばって散歩してるんだぞ」
と感動を強制する演出にもっていくことが嫌らしい。
障害者本人の思惑とはぜんぜん違うドラマに仕立てあげられてしまう。
それは演出をする側に差別意識があるからだ、ということです。

ただ、私はその線引きがよくわかんないので困っちゃうんですが…。

「フォレスト・ガンプ」良い映画ですよね。
だいぶ昔に見たのであまり覚えていないのですが、主人公は軽い知的障碍だったでしょうか。
「ぼくは頭はよくないけど、愛は知っている」
みたいなセリフが印象的でした。

>今は身近に生涯のある方がほとんどいません。
>だから感動の押し付けであってもそういうドラマを見てそうなのか!ということも多く、悪いことばかりではないと思います。なるほど、そういう見方もあるのですね。
機会があれば、NHKの「バリバラ」をご覧になってください。
衝撃的ですよ(笑)。

>一生で言えば半分以上の人が障碍者になるんです。
おお、本当ですね!
これはちょっと名言じゃないでしょうか。
若くしてなるか年とってなるかの違いだけで、誰でも年を取れば体が不自由になりますもんね。
だから、みんな一緒なんですよね。
2016.08.30 20:58 | URL | #- [edit]
だだ(たかはたゆきこ) says...">秘密のコメントさん"
たしかに、ぎょっとする言葉ですよね、感動ポルノ。
勇敢な人だなあと思います。
賛否両論だったことでしょうし、健常者が言ったら叩かれるだけで終わったのかもしれませんね。
たった30分の番組ではわかりづらいところもあったように思います。
実際に身近に障害者がいなければピンとこない人も多いのではないでしょうか?

私も妹が施設のお世話になっている身なので施設のことを悪くいうつもりはありませんが、でもやっぱり社会から遠ざかることには違いないですよね。
(当事者たちは軽く語ってるけど、介護するほうはけっこう厳しいんだよねーって思いながらバリバラ見てます)
すべての障害者がグループホームに住み、地域で暮らせたら理想ではないでしょうか。
そうしたら障害者がもっと人の目に触れ、一緒に生活することができるのに。

>時々思うのです、目が悪い人だって障害を持っているという事ではないのか?って。ただ数が多いだけで。
本当にそうですよね。
どこからが「障害者」なのかわからない、というか、完全な健常者なんていないのではないでしょうか…。
2016.08.30 21:12 | URL | #- [edit]
東風 says..."遅まきながら 私もちょっと考えました"
意図した反応を起こさせる目的で
非一般的で過剰な情報を公に開示する

ねこをかわいいと思う気持ちを刺激するため
一般的に開示される以上に
ねこのかわいさを表す情報を意図的かつ過剰に開示・・・

おっとーだめだ

などと繰り返して

少数の要件が
画一的な人格的価値を想定した扱いをするための
十分条件だとすることに
気持ち悪さを感じているのかもと思いました。

個人の尊重、に反するからかと。

このブログは個別具体的な話題だし
障害の有無に関わらず
嘘つきも正直者もいる
暑がりも寒がりもいる
機嫌のいい日も悪い日もある
気の合う人も合わない人もいる
ということを否定していないので嫌に感じないのではと。

選民思想も人種差別もどっちもどっち
称賛と差別は自分と違うものとみなす意味で同根だと思うので
テレビは、称賛番組でも見下し差別行為に加担させられるのと
同じ感じがするのではとも思いました。
例えば、母性万歳番組にも同じ違和感を感じそうです。
2016.08.31 18:50 | URL | #- [edit]
だだ(たかはたゆきこ) says...">東風さん"
難しいことはわからないんですが…。
感動させる演出をし、ウソついてるってことなんですよね。
障害者も人それぞれみんな違うし、みんな個別のストーリーを持っているはずなのに、すべて同じような感動の物語に変えてしまう。
視聴率をとるために。
それで視聴率がとれるとういことは、世間がそれを望んでるってことなんでしょう。
感動ものじゃなくても、もっと普通に障害者がテレビに出られる社会、障害者がぜんぜん珍しくない社会になればいいなあと思います。
2016.09.01 03:32 | URL | #- [edit]

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